婦人像
東郷青児
洋装の明朗な女性像が、それまでの構成的ないし幻想的な傾向からの新境地として好評だった作品です。有名な「夢二美人」になぞらえて「青児美人」と呼ばれるようになるのも、この頃のこと。少女雑誌のようなモティーフにもかかわらず画壇で一目おかれた理由のひとつが、フランスで研鑽を積んだ油彩技術でした。「若い頃の私は理窟狂で、自分の理窟が天下を征服すると考えた。〈略〉私のこの悪癖は外国留学ですつかり叩きのめされた。何しろ理窟など捏ね返している暇なんか無く、〈略〉そんな暇があつたらカンバスの地塗でも研究した方がましだと云ふ気が何時しか出て来て、自問自答の理窟以外は云は猿になり澄ますことになつた」(「理窟嫌ひの理窟」『アトリヱ』1936年5月)。
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