傾斜
東郷青児
東郷は75歳で初めてブロンズ彫刻を二科展に発表し、以後は亡くなるまで毎年出品を続けた。ブロンズの制作では、まず作家が粘土で原型を作り、それを型抜きした石膏から青銅で鋳造される。東郷のブロンズはどれも"異形”といっていいほどに変形され、でこぼこの手触りや造形の実験を自由に楽しんでいるように見える。20歳代の後半をパリで過ごした東郷は、キュビスムの彫刻家オシップ・ザッキン(1890-1967)と親交を結び、戦後も中国やエジプト、南米など古今東西の彫刻を愛した。胴部にぽっかり穴が開いた《傾斜》は、最晩年の作である。題名は、二科彫刻部の淀井敏夫氏(1911-2005)に聞かれた東郷が、やや傾いている特徴をもとに即興的に名づけたという。
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