渇
東郷青児
1952年の二科展に、東郷は本作品と同じように幼い子を抱いて悲しむ母親を描いた《哀愁》を出品した。第二次世界大戦の敗戦以来、連合国軍の占領下にあった日本は、この年のサンフランシスコ対日講話条約の発効により主権を回復した。朝鮮戦争特需により1953年後半の経済状況は戦前を上回ったが、東郷は困窮する母子を描く心境を次のように語った。「占領中ももちろん感じてはいたんだが、独立してみると、今さらながら、戦争の残していったものがひしひしと痛感されてくる、また、はらいのけることの出来ない世界をおおう不安がジカにハダ身に感ぜられるんだ、胸の中に一番大きく存在しているそんな感じがあって、こんな作品が生れたわけなんだよ」。
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