『バンティミーユの女』
東郷青児
作品名にあるバンティミーユとは、南仏の国境に接したイタリアの沿岸都市(Ventimiglia)で、約30kmの距離にニースがある。この油絵は1922年の作だが、東郷はその前年、24歳のときに欧州の前衛芸術への憧れを胸にパリへ渡った。1922年1月にはボローニャの「イタリア未来派美術展」に出品し、現地に赴いて宣伝運動にも参加したという。その後、半年ほど未来派の詩人マリネッティと書簡を交わし、その中に、体調を崩したためニースで療養したと書いている。「バンティミーユ」がモデルの出身地か、作品の制作地かは不明だが、後にフランスで古典主義的な秩序のある美に惹かれていく東郷が、イタリアの未来派運動と最も密接な関係を持った時期の作品である。
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